百舌鳥・古市古墳群は、大阪の南部、堺市、羽曳野市、藤井寺市の3市にまたがる巨大古墳群であり、堺市の「百舌鳥」と羽曳野市・藤井寺市の「古市」の2つのエリアに分かれながらも、一体性・連続性をもっています。
この古墳群では、4世紀後半から6世紀前半にかけて200基を超える古墳が築造されましたが、現在でも89基の古墳が残っています。
最大の古墳は仁徳天皇陵古墳(墳丘長486m・国内第1位)で、応神(おうじん)天皇陵古墳(墳丘長425m・2位)、履中(りちゅう)天皇陵古墳(同365m・3位)、ニサンザイ古墳(墳丘長290m・8位)、仲姫命(なかつひめのみこと)陵古墳(同290m・8位)、仲哀(ちゅうあい)天皇陵古墳(墳丘長242m)がこれに続きます。
こうした墳丘長が200mを超える古墳は全国に40基近くありますが、うち11基は百舌鳥・古市古墳群に存在し、これほど巨大前方後円墳が集中している地域は国内でも他に例がありません。
世界文化遺産登録
百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産一覧表への記載が、アゼルバイジャンの首都バクーで開催されている第43回世界遺産委員会において、7月6日に決定しました。
これまで、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録に多大なるご支援やご協力をいただいた皆様に深く感謝を申し上げます。
また、将来にわたって百舌鳥・古市古墳群を守り、伝えていくために、市民の皆様をはじめ、関係機関である堺市、藤井寺市、大阪府等と連携して、その保全に努めてまいります。 引き続き、羽曳野市の応援のほどよろしくお願い申し上げます。
古墳とは
古墳とは、今から1400~1750年ほど前にたくさんつくられた、土をもり上げてつくった墳丘(ふんきゅう)を持つお墓(はか)のことです。
古墳には、その当時の権力者(けんりょくしゃ)やその一族がねむっています。
堺市にある仁徳天皇陵古墳(にんとくてんのうりょうこふん)は、日本で一番大きい、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)という形の古墳です。
中には石室(せきしつ)と呼ばれる死者を納(おさ)める部屋があり、墳丘や堤(つつみ)の上には埴輪(はにわ)と呼ばれる焼き物が並んでいます。
古市古墳群の特色
- 古市古墳群よりも先行して形成された奈良にあるオオヤマト古墳群・佐紀盾列古墳群の墳形の構成よりも、古市古墳群内の方がバラエティーに富み、大きさも応神陵古墳の425mから一辺10m未満の方墳(青山3・5号墳)まであり、被葬者の階層性を窺わせています。
- 墓室構造の変化があります。大王の墳墓と推定される大きな前方後円墳には、兵庫県竜山石を使った長持形の組合式石棺を納め、そのまわりを石で囲む竪穴式石槨と言う葬法が採用されたようです。前期古墳に共通する割竹形木棺とそれを包む竪穴式石槨は見られなくなります。ただ、群内の中・小型の前方後円墳、円墳や方墳には、初期の段階で長大な割竹形木棺を粘土で包む葬法が見られ、中頃から後半には、箱形の木棺を直接墳丘に埋めたり、また横穴式石室を採用した可能性も推測できます。
- 古墳に納められる副葬品に鉄製品、中でも武器・武具が目立つことです。前期の古墳の副葬品の主だった鏡や腕輪形石製品は数が少なくなります。
- 金や銀を使った製品が副葬品に含まれるようになることです。誉田丸山古墳から出土したと伝えられる金メッキされた馬具はその代表格です。後半に造られた峯ヶ塚古墳の出土品では銀製品が目立っています。
これらの特色から、大王を頂点とする階層的な社会構造が考えられ、大王の持つ性格が宗教的司祭者の立場から強大な力を持つ支配者に変わっていった事が想像できます。
また、大王は国内の政治的安定と東アジアの国際社会との交流に力を注いだ事も窺がえます。
参考文献
- 「歴史探訪」-ライブラリ-古市古墳群- 藤井寺市文化財保護課 WEBサイト
- 古市古墳群研究会編『古市古墳群とその周辺』 1985年 摂河和泉文庫刊
- 『新版 古市古墳群・藤井寺ガイドブック No6』 1993年 藤井寺教育委員会刊
- 『世界遺産暫定一覧表記載資産提案書 百舌鳥・古市古墳群』 2007年 編集 大阪府・堺市・羽曳野市・藤井寺市
- 羽曳野市刊 『羽曳野市史・一巻』
羽曳野市内の古墳
世界でも類を見ない巨大墳墓,「古墳」。
羽曳野は大小様々な古墳が密集する日本有数の古墳群、「古市古墳群」を擁する地域です。
かつて権勢を誇った権力者が築いた陵墓を見上げ、古代のロマンに浸ってみませんか。